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2019年5月2日更新。

FC2wikiって確か長い事更新されなかったら面倒臭いタイプの広告が画面を埋めちゃうんですよね。
基本的にこの旧サイトに帰って来る事はないですが(引退したら人狼Onlineについて書く事ないですもんね)、あの広告はなるべく出したくないので機会があればこんな感じでフラッとコラムを載せるかもしれません。

Q.人狼Onlineの世代について教えて下さい

……という質問が来たので現役時代に語れなかった事も含めて少しお話してみましょう。
まず結論的にはこんな感じです。

・第一世代(2013年~2014年)
・第二世代(2014年~2015年)
・第三世代(2015年)
・第四世代(2015年~2016年)
・第五世代(2016年6月~2017年)
・第六世代(2017年)
・第七世代(2018年~)

人狼Onlineのサービス開始時は2013年5月。
(試作段階での鯖公開はもう少し早かった、という説もありますが資料的に2013年開始と定義して問題ないでしょう)
当然ながら第一世代の始まりは2013年から~となるワケですね。
まあ当時僕が実際にプレイしていたワケではなく(自分は第二世代)、過去ログを漁って情報収集していたので実際の所この世代がどういうものだったのか、という概念を肌で感じてはいないんですけどね。

分け方として時期で分類するというより「人口層の入れ替わり」で区切っています。
こうして俯瞰すると時期で区切っているように見えますが飽くまで先に「人口層の入れ替わり」があってその結果として時期で区切っているように見える、というワケですね。
(些細な定義のように見えますが結構これが大事だったりする)

基本的に人口層の大部分を占めるのは学生ユーザーですから、その入れ替わりは「夏休み・冬休み(春休み)」を基準とする2つの流動期に大きく影響されています。
経験論として実感がある方も多いかもしれませんが、まあ本当に「長期休みの前と後」ではプレイヤー層がガラッと変化するんですよね。

勿論人狼ゲームは積み重ねのゲームですから、ある一定以上のレベルに到達したプレイヤーは年間単位のロングスパンで長期的な活動を行います。
で、思うに"その境地"まで至るという事は既に「世代という概念から外れている」と思うんですよね。
分かり易い例えがワンピースの超新星及び四皇でしょうか。
引用例が子供みたいと失笑されるかもしれませんが(笑)、基本コミックチックに演出したwikiの世界観なので例えもそれに準じた方が分かり易い……というのが自分の定説です。

その時代を象徴する"スーパールーキー"。
それは初心者、という意味ではなく新しい時代を担う超新星としての期待を背負っていて。
彼らが活躍する最盛期、彼らが歩む一挙手一投足がそのまま「あの頃の人狼Onlineは○○を中心に盛り上がってたよね~」と語り継がれるべき時代の象徴になるんだと。
それを体現したのが「第○世代」という考え方になります。

少なからず私達の生活基盤が「時間」という概念に左右されている以上、限られた余暇の中で楽しむ人狼プレイヤーとしての日々にも「流れ」というものが存在します。
その繋がりは時代時代で個々のコミュニティを成立させた中での活動が主となる人狼Online民特有の文化形態では一層如実な傾向として露出しますし、「なんか段々みんな集まらなくなってきたから……」という理由で自然消滅的に縁が途切れた、なんて経験を持っている人も多いのではないでしょうか。

微妙に世代と実時間がずれている、或いは途中で変化している……という理由は「時代とは誰かが定義してそうなるものではなく、後世の人々が振り返った時に初めて現れる人の流れ」だからです。
(恐らくこのサイト内でも昔に自分が言っている事と今自分が言っている事では微妙に違う記述があるでしょう)
人によって、或いは当時から時間が経って「ああ、あの時代は○○だった」という振り返りは徐々に徐々に変わっていくものだと思います。
それが精査されての正しさを定義しているのかどうかは分かりませんが、厳密にここからここまでと検証出来ないからこそ「曖昧な」時期区分が為されているワケです。
(唯一第五世代の始まりだけは「人狼Online管理人様の復活及びサーバー整備」という起点を以て迎えた新時代なので6月からと明確化されている)

そういった「時代とは曖昧さを許容するものである」との考えを前提において俯瞰してみると初期(第一世代~第四世代)と後期(第五世代~)で微妙に時代間隔が異なっている事が分かります。
具体的に述べると「最初の頃は1つの時代が長いのに後になると1つの時代が実質半年間ほどしかない」という違いですね。
これは単純に「昔と今では人口比が比べ物にならないほど違う」からです。

先ほど時代とは人の流れ、と述べましたがそれらを圧縮して後の人間達が振り返るものを「世代」と呼ぶのであれば、当然質量的にある程度各世代が均一化される必要があるワケです。
時代の密度、とでも呼びましょうか。
人が少ないと当然そこで紡がれた出会いや物語も中々発展的に広がり切らない。
そうした人口比の影響を受ける形で「最初の方の世代はやたら長い」という結果が生まれているんですよね。

今も横のメニュー欄に掲載されている新人物名鑑で「世代」という概念を払拭したのはこの人口比が大きく関わっています。
人狼ゲームが積み重ねのゲームである以上、そして常に戦術や文化は洗練され進化していくからこそ「昔より今の方が強い」のは当然な帰結です。
(所謂スポーツや格闘技の歴史において"昔より今の方が普遍的に強い"傾向と同じ原理)
それはプレイヤー個人の事情としてもそうですし広く全体を俯瞰した時により一層明確化する現象でしょう。

「第○世代と第○世代はどっちが強いのかな」なんて会話をかつて耳にした記憶もありますが、基本的に昔より今の方が強い筈です。
勿論個々に属する大型プレイヤー次第で話も変わってくるかもしれませんが、それでも変化するのは2人3人程度の突出した個の力であり基本的に「昔の世代が辿り着いた人狼理論」と「今の世代が辿り着いた人狼理論」では圧倒的に後者の方が優秀なんですよね。
それはある意味昔の世代が辿り着いた人狼理論を受け継いだ上に次の世代が新しい戦術を模倣し極めていく、その流れが(特に人狼Onlineでは)確立されているからこそ当然の摂理だと言えるでしょう。

だからこそ資料として各世代を一元化した時にどうしても評価の指標として同列に推し測れない差が生まれてしまう。
その解決策として提示したのが「世代やランクという概念を取り払った上で全く新しい人物名鑑の形」だったワケですが、まあやっぱり「世代」「ランク」という言葉が牽引する少年漫画的な熱さ・面白さは損なわれて"丸く収まってしまったな"とは思いますね(笑)

人狼Onlinewiki、名前が変わったとしても基本本質としてこのサイトが受け持ってきた役割というのはそういう「人物評価を統合したサイト」になるでしょう。
他の人狼サーバーのソレであれば「強さを客観視するもの」としての役割を期待される事が殆どだと思います。
ですが人狼Onlineが求めているwikiの在り方とは「エンターテイメントとしてのサイト」だったと当時の僕は、そして今の僕も解釈していて。

人狼Onlinewikiという計画の始まりは第四世代でした。
当時は半角数字荒らしを始めとする大規模的な迷惑行為者の横行により「そもそもサイトに入れない」レベルの暗黒時代でした。
自分のような物好きな一部ユーザーとそのコミュニティは生存こそすれど、人の流れとして人狼Onlineの人口はボロボロに減少してしまっていて。
そんな現状を何とか変えたい、何とか人を呼び戻して人狼Onlineを盛り上げたい……!

その想いから打ち立てたのが「人狼Onlinewikiを作る」という試みでした。
(自分は色々と誤解される事が多いんですが(笑)、始まりの感情としては本当に純粋な熱意だった)
だからこそwikiの内容もどこかコミックチックな過剰演出……もとい厨二病的なエッセンスを含むエンターテイメントだったワケですね。

自分が思うwikiの良い所って、昔の風景を知れる事だと思うんですよね。
どんなコンテンツにおいても同じ事ですが基本的に昔の事って誰も教えてくれないし分からないもので。
でも公共的に開放されたサイトがあれば資料として当時の風景を思い描く事が出来る。
それが人狼ゲームであれば「古豪」「古参」と呼ばれるプレイヤーの存在の認知へと繋がる。

「久しぶりに人狼Onlineに来たけど全員知らない名前でちょっと寂しいなあ」
「……あの、すいません。もしかしてwikiに載ってた○○さんですか?」

このやり取りはある意味自分が求めていた理想の形であって。
語り継がれる事はない「昔の居場所」。
それは確かに自分とその仲間達にとっては大切な場所だったかもしれないけど、いつかは無くなるものだし忘れ去られるものなんだと。
でもそれを知っている人がいる、その2人に直接の交流があったワケではないけれど何か自分達が残したモノが後の人間に受け継がれているのは凄く素敵な事なんじゃないかなと思っていて。

「昔と今、そしてこれからを繋ぐきっかけになればいい」

そういう想いは自分の中でずっと一貫していましたしこの根源的なテーマはこれから初めて真価が問われる所なのかもしれませんね。
(当サイトに名前の載っている"人狼Online民"がふと当時の事を思い出して検索した時にこのサイトがヒットして「絶対に笑ってはいけない人狼Online24時」等を見て懐かしむ……みたいな)


ここからが「現役時代に話せなかった事」になるんですが、この「時代を盛り上げるためのwiki」には1つ大きな欠点がありました。
それは「さほど強くない人を紹介する時に評価を付け辛い」事で。
基本的に人は褒められると嬉しいものです。
それは別に悪い事ではないですし、僕だって褒められると嬉しいです。
そして強さを客観視するwikiではない、エンターテイメントとしての側面を意識したwikiにとってその"強み"は最大限のウリになります。

「新時代のスーパースター」「新しい時代の始まり」「ようこそ、新時代へ」

そんな大号令と共に自分達の活躍が記載される、という事は当然嬉しいものです。
自己顕示欲の発露、ではありませんが少なからず人狼プレイヤーとしての自分が、コミュニティとして結成された自分達の村が第三者に認められそれが周囲に認知される。

「あ、wikiに載ってた○○さんだ!」「SSSランクの○○さんだ凄い!」

観戦者からそんな言葉で称賛された日にはやっぱり何だかんだと理屈をこねても純粋に嬉しいものだと思います。
その原理はある意味で「wikiで褒めれば褒めるだけ」効力を増していくシステムなんですよね。
例えば自分の事を知らない輩に「○○は人狼プレイヤーとして粗が目立つ。まだまだ未熟」なんて書かれて嬉しい人はいないでしょう。
「wikiに載る事」が嬉しいというより「wikiに載って褒められる」という前提があって初めて「認められた、嬉しい」という感情への繋がるワケです。

で、ここからが問題なんですが。
だからといって誰も彼もを手放しに「強い!最強!」と謳っていてはwikiそのものにデータベースとしての信憑性が希薄化してしまって。
明確に強さを計る指標でないものの、ある程度客観的に「まあ大体そうだよね」と共有される信頼性があって初めて「wikiに載る事」にステータスが生まれるワケです。

そして先ほども述べた通り基本的に人狼ゲームは積み重ねのゲームなんですよね。
スポーツ選手のように恵まれたフィジカルとセンス、そして若さから「スーパールーキー」が大活躍をする事が極めて難しい分野であって。
洞察力や頭の回転、視点整理の速さといった人狼ゲームで必要とされる各種の能力は飽くまで「積み重ねとしての経験値」があって初めて意味を発揮するパラメーターなワケです。

他の大手人狼媒体……まあ所謂リアル対面人狼における商業的コンテンツでは「麻雀師」「将棋師」「インテリ芸人」の方々がその肩書を代表して人狼ゲームをプレイしている姿が有名ですが基本的に実生活で培われてきた「頭の良さ」を人狼ゲームでアウトプットするには絶対的に「経験」の階段を一歩一歩登っていく作業が必要になるワケですよね。
曲がりなりにも人狼プレイヤーとして在った時期がある者として言わせて貰えば「地頭だけで勝てるほど単純なゲームではない」と言った所でしょうか。
(勿論そうしたエンターテイメントの面白さはもっと別の所にあると思いますし実際出演者の方々も人狼ゲームの経験者として腕を磨いてきた上であの場に立っておられるのでそうした企画はとても面白いなと思います)

だからこそ「新時代の超新星」というのは基本的に実力として評価され辛いものなんですよね。
それは「昔からいる自分達の方が強い」という驕りではなく、人狼ゲームの本質が一歩一歩着実に階段を登る事でしか上がれない積み重ねのゲームだからです。
勿論他鯖からの移民、であれば強さとして申し分ないでしょうが基本的な世代の定義として新しいコミュニティの発生と彼らの活躍がそのまま鯖全体を巻き込んで"時代を動かしていく"、そういったイメージを持ち得るのはやっぱり「人狼Online原産の新規ユーザー」に限られるのかなと。

若さ(年齢的な、ではなくネットユーザーとして良い意味での若さ)が故の勢いとその疾走でしか為し得ない事がある。
誰にでも覚えがある筈の「あ~あの頃の自分達は人狼Onlineの中心にいたな~」との回顧録。
当時の自分達が客観的な強さとして完成されたものではなかった筈なのに。
それでもあの日の自分達は最高に輝いていて楽しかった。
何故ならそれこそが"人狼Online民としての全盛期"だったから。
その一瞬の輝き、思い出をこそ僕は「世代としての誇り」だと思うんですよね。

当然若さ故の過ち、黒歴史として忘れ去りたい記憶もある事でしょう。
でもそれだって後から振り返ってみれば笑い飛ばせる思い出であって、当時の自分達を彩るアルバムの1ページになる筈で。
そういう"歩み"を忘れないように資料として残しておきたい。
wikiの本質って結局そういう事だと思うんですよね。

新規ユーザーが強さとして評価し辛い。
つまりは「褒め辛い」という足枷、無理に"盛る"とそれはそれでwikiとして体裁を保つための信憑性を損なう結果になる。
けれどエンターテイメントとして在るべきwikiは「褒めてナンボ」の代物だった。
さあ困ったぞ、どうするか。

「彼らを強い強いと褒めたいけど現実問題としてそれほど強くはない。じゃあどうするか?」
この二律背反に対する答えを見出せなかった、突破出来なかったのが僕の限界でした。
こうして書くと「なんかお前嫌な奴だな……」「お前だって強くないだろ!」と空き缶が投げ込まれそうな勢いですが(笑)、でも結局「何かをやる事」に対してその本質を自分の中で見極めないと意味がないんですよね。

ただ有名人を集めれば良いのか。
ただ適当に"アゲ"て褒めた人物名鑑を作れば良いのか。
その辺りの"何かを捨ててでも本質を貫く覚悟"みたいなものを学べたのは人狼Online民として凄く勉強になった事だなと思います。

「じゃあどうすれば良いの?」と言葉が返ってきそうですが、これは僕も最後まで分からなかった事なので何とも言えません。
エンターテイメントとしてのwikiは第三者が褒めて認める事に意味がある。
けれど人狼ゲームは積み重ねのゲームであるが故に新規ユーザーの強さを既に築き上げられた多くのプレイヤーの評価の上に重ねられない。
(カードゲームの新パックが弱いカードしか収録されていなかったら誰も買わない理屈と同じ)

そもそも時代を率先するような大型プレイヤーが早々出て来ない、という"時代の運"みたいなものも難しい所ですよね。
(人狼Onlineも、そして僕のwikiも第五世代においてシーモアさんやルアーさんがいなければここまで盛り上がる事は無かったと思う)

自分にとっての始まりは第二世代であり、当時の狭いコミュニティながら和気藹々とした繋がりの温かさは懐古的に凄く素敵な思い出だったなと思うんですが同時に第五世代からの破竹の如き"時代の勢い"をこの身で体感出来たのは凄く幸せな事だよなと今になって改めて実感しますね。
自分がその新時代の先頭に立っていたワケではなく、どちらかと言えば後方から見守る形での介入でしたがそれでも当時特有の「熱さ」は忘れ難い経験だったなと思います。
ある意味で「楽しさの上限に限界がある(単純に遊びとしてのコスパと普遍的な面白さの総量なら普通のゲームやリアルで遊びに行く方が楽しい)」人狼ゲームというコンテンツにおいて恐らく他のどの鯖でも体験出来なかったであろう時代の激動を共に過ごせたのはとても貴重な体験でしたし懐古厨と揶揄されようと(笑)あの時代に人狼Online民だった者にしか分からない楽しさは今でも噛み締める所ですね。

最近はどの界隈でも「斜に構えて外から物事を見る」スタンスが悪い意味で主流になっていて、そういう「何事にも本気で取り組まない」タイプの"冷めた(敢えてこの表現を使いたい)"人間が多くなっている印象があります。
それは人狼界隈では特に顕著化する傾向だと思いますが、だからこそ正面から「楽しんでやろう!」「盛り上げてやろう!」「みんなで一緒に面白い事しようぜ!」みたいな前向きなコンテンツへの関わり方こそが大切になってくるのかな、とは思いますね。
いつの時代も「昔は良かった」なんて愚痴は受け継がれる文化ですが(笑)、人狼Onlineの古き良き「アナログなネットコミュニティの在り方」は今だからこそ逆に輝く事もあるのかなと思いますしまた新しい超新星が、或いは新しいwiki管理人が現れて次の時代を築いていってくれれば「昔の人狼Online民」として嬉しいですね。


余談。
元々この「第○世代」という呼称はパワプロクンポケットのサイボーグから来ています。
(作中では第三世代サイボーグ・第四世代サイボーグ辺りが実際に用語として使われていた)
だから自分の中のイメージとしてせいぜい第六世代、第七世代辺りまでに集約される言葉ではあったんですよね。
まあ第十五世代~とかまで行くと「世代」という概念を使う事の意味自体希薄なものになりますし、今となっては「第○世代という概念があったらしい」くらいの懐古的な振り返りに用いる"古語"としての扱いが妥当なのかなと思います。
あんまり「第九世代!第十世代!」とか言われても各世代の特色が薄れるというか、ややこしいですもんね(笑)

  • 最終更新:2019-05-05 01:59:14

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